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2011年07月31日

奄美のニャー(貝)展示中

奄美市笠利町宇宿貝塚史跡公園では奄美のニャー(貝)展示中
期間 7月24日(日)から9月2日(金)まで
入園時間 9時から5時まで(但し入園は4時30分まで)
休館日 毎週月曜日
入館料 大人200円、 高校生・大学生100円、 小学生・中学生50円
お友達やご家族でぜひおこし下さい

グループ貝友
奄美市名瀬の貝類収集愛好家で、有馬康文代表を中心にした会員7名のグループ。
これまで奄美博物館、奄美海洋展示館、名瀬中央公民館金久分館で展示活動を行なう、2009年から2度目の今回の展示を通し、図鑑等でしか目にすることのできない貝の実物を目にしたり、多くの貝にふれることで、自然の大切さを感じてほしいと思います。

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Posted by DEI  at 10:49Comments(0)

2011年07月28日

国指定の赤木名城

赤木名グスクは赤木名中学校の裏山にあります。裏山には赤木名観音堂や秋葉神社があり、その山頂には平たい所が2ヶ所あります。グスクの中心部があった場所です。一番広い場所の周辺は小さな土の堀(土塁)が巡らされています。東側は切り立っており、西側は段々畑。南側もきつい坂になっており、北側にいくにつれ尾根が細くなっています。その尾根が8ヶ所にわたって掘り切られています。奄美大島のグスクの中で約16,000㎡以上の規模をもち奄美特有の中世グスクになりそうです。今後の調査が期待されます。グスクは赤木名中学校の北側にある標高100mの山中にあります。今から約7、800年前の12,3世紀の時代のものです。この山全体がグスクになっており、赤木名集落の背後にそびえたつ地形になっています。このグスクの所在する山の麓には外金久から厳島神社、中金久の菅原神社、里の秋葉神社、および赤木名観音寺跡などがあります。集落の聖域的な場所にもなっています。山頂からはグスク西側と北に開口する大きな笠利湾が一望でき、往来する漁船も手にとるようにわかります。見張り台としても最高の地形です。出土遺物は表採資料で青磁片1点でしたが、発掘調査によって多くの出土品を得ています。赤木名グスクは1999年から2002年までの4年間発掘調査が行なわれました。その結果地形測量図が完成し、かなりの大型グスクであることが明らかになりました。二ヶ所の平場を持ちテラス状の見張り場や竪堀、腰郭などが発見されました。これらの発見は中世南島のグスク研究にとっても大きな成果となりました。出土遺物の層はカムイヤキと滑石が出土する層と青磁が出土する層に分けられます。時代的には12、3世紀の時期と14,15世紀の2つの時代が考えられます。陶磁器の他に曲輪内の土坑からカムイヤキなどの遺物が出土しました。そして、土坑内にある土を分析して調べた結果、稲の種子なども検出されました。この時代に稲などの穀物が栽培され、グスクに運びこまれれていたことも明らかになりました。鉄文化の普及とともに田んぼも広まり、グスクの機能は人々の暮らしとも大きく関わりをもっていたと思われます。赤木名グスクは沖縄の初期のグスクと共通する部分もあり、北部九州の山城と類以する部分もあります。奄美大島の中世研究の成果によって、琉球王国以前に奄美の按司たちが大きな力をもって対外貿易を盛んに行っていたことが考えられるようになりました。宇検村倉木崎海底遺跡から出土した大量の陶磁器の発見は奄美だけでなく、中世日本の貿易研究にとっても大きな成果をあげました。更に伊仙町カムイヤキ古窯群の調査成果も、奄美が中世において重要な役割を担っていた可能性を示し、奄美の力を持った按司たちがどのように関わっていたのかも大きな関心をひきます。赤木名グスクはこうした中世全体の歴史を解き明かす上でも重要な存在といえましょう。曲輪の下層を調査し、更に土層の推積を調べるために赤土を堀下げました。なにも出ないはずの赤土の層から鋭いガラス状の石が出土しました。チャートと呼ばれる堅い石で、割れた破片はガラスのように切れます。そのような石をナイフとして利用していた10000年以前を旧石器時代と呼んでいます。その旧石器時代の石器も発見され、グスク時代だけでなくもっと古い時代まで遡る大きな発見になりました。尚この赤木名グスクは2009年に国指定になりました。  (笠利町発行「郷土は博物館」より

                                                                    ts

  

Posted by DEI  at 15:31Comments(0)