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2011年09月27日

大島奉行所跡

笠利町の大笠利集落の南側入り口、辺留城(べるグスク)台地の北側下に
サンゴの石垣で囲まれた屋敷跡があります。ここが薩摩藩時代に
奄美大島で最初に奉行が置かれた所です。
ここは、1613年から奉行所が現在の名瀬市大熊町に移される
1635年までの22年間、薩摩藩の大島統治の拠点となっていました。

奄美には、明治4年(1971年)の廃藩置県まで代官所(仮屋)が置かれていました。

(奉行をのちに代官に改める。笠利町赤木名の里集落には
 代官屋敷跡があります。)

琉球王朝時代には、ここに大親(ふぅうや)が置かれていたといわれています。

** 奉行(のちに代官)は、藩主の代理人として奄美の島々での
    最高権力者である。

** 琉球王朝時代の大親は、間切(まぎり)の責任者。
   奄美大島は7つの間切に分けられていたと云われている。
   (間切り制度は薩摩藩統治時代も続けられ明治41年の町村制施行まで続く)

** 間切りは、昔の奄美の行政区画で今の市町村にあたる。

この奉行所跡を囲む笠利町ではめずらしくなったサンゴの石垣は
美しいカーブをなしていたりして とてもきれいです。

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Posted by DEI  at 10:29Comments(2)