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2012年01月29日

用見崎遺跡 (ようみさき いせき)

用見崎遺跡は、笠利町用岬の手前の長島植物園の敷地内にあり
1994年に笠利町教育委員会が発掘調査を行いました(1次調査)。
この調査で2棟の住居跡や兼久式土器、石器、貝製品、夜光貝などが
発見されました。

1995年7月(2次調査)と1996年7月(3次調査)に熊本大学文学部
考古学研究室による発掘調査が行われました。
主な出土遺物は兼久式土器(かねくしきどき)、
         ・石器 (敲き石、磨り石、石皿など)、
         ・貝製品 (貝錘、貝輪、貝匙、貝札など)
         ・夜光貝、獣骨(イノシシ)、魚骨 
         ・中国銭貨の開元通宝1個 などです。

*開元通宝は中国唐時代の621年に初鋳され、以降約300年流通したと
 云われています。

*3次発掘調査時の1996年7月には用集落海岸で同じ中国銭貨の崇寧通宝
 が1個採集されています。(1102年~1106年鋳造)

遺跡は兼久式土器などの出土遺物から兼久(かねく)時代(本土の古墳時代相当期)
の7・8世紀前後の生活跡と云われています。

  ky

        

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2012年01月21日

安良川遺跡(アラゴウ イセキ)

安良川遺跡は、笠利町用集落南を流れる安良川の南側砂丘一帯
(集落に向かって県道右側)にあり、昭和40年頃に道路工事中に
発見され、平成15年4月~5月に発掘調査された。

遺跡は7世紀前後の生活跡で、主な遺物は兼久式土器や貝製品、
無文貝符、貝小玉,磨り石、たたき石、釣り針などである。
また、夜光貝もたくさん出土し、食用と貝製品に利用されていたらしい。

ここの遺跡も、大部分の砂丘が開発に伴う工事用の材料として使用
され破壊されてきていたとのことである。

  ky
  

Posted by DEI  at 14:15Comments(0)

2012年01月06日

笠利町内史跡巡り (屋仁老人クラブ)

12月21日に笠利町屋仁老人クラブの笠利町内史跡巡りの案内役を務めた
12月に入りずっと続いていた冬空がこの日だけは晴天。
老人クラブの皆さんの願いが通じたのでしょう、昼間は暖かく上着を脱ぐくらいだった。

歴史民俗資料館や宇宿貝塚史跡公園、薗家庭園・住宅に来た事がある方は
13名の内2・3名だけだった。
宇宿の泉家住宅や城間トゥール墓、土浜のイャンヤ洞穴遺跡はほとんどの方が
初めてとのこと。
赤木名でもバスから降り、代官所跡や街並みを見せてあげた。

歴史民俗資料館では、ご自分達が若い頃使用していた民具類を眺め懐かしく
昔を思い出し、あれも使っていた、これも使っていたと私に使い方などをを教え
ながら盛り上がる。
宇宿貝塚史跡公園では、石皿やすり石、たたき石、凹石(へこみ石)の前で
コウシン(はったい粉)やミキ造り、貝割りなどの話になり、貝割りには金鎚より
ここにあるたたき石のような石の方が貝を飛ばさずにうまく割ることができたとか、
凹み石は貝割りで出来た凹みだろうかとかでとても盛り上がった。
(コウシンはスィダラ木の葉で食べたとのこと)

最後は蒲生神社にお参りする。参道や展望台への道路は屋仁青壮年団の
皆さんが定期的に草刈りや枝落としなどされるとの事できれいになっていた。

バスの中や昼食時に、屋仁集落に伝わる屋仁按司(ヤンアジ)やグスクの話、
棒踊り、イソ踊り、浜送り、大和拝みのことなどいろいろ逆に教えてもらったりした。

今回の史跡巡りでも痛感、もっと多くの方に笠利町内の史跡や文化財の事を
知ってもらいたいと。


   ky

  

Posted by DEI  at 15:51Comments(0)