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2012年02月18日

宇宿貝塚(うしゅくかいづか) のあゆみ

宇宿貝塚は昭和8年、京都大学三宅崇悦博士によって発見されました。三宅博士は
雑誌ドルメン第3巻第12号において「南島の旅6」で次のように書いている 「12月
17日薄曇の日である。 ・ ・ ・ 宇宿集落を1丁も離れないところに掘割道がある、
フカミチと呼ばれるところだ。 貝層だ!左壁(西側)は約3米の高さがあるが、地表
から1米半から1米80にいたって黒味を帯びた砂の下に、貝層が並んで南北に走
っている。土器片が混ざっている。」 と宇宿貝塚の発見当初のことを記しています。

また、この状況を16ミリ映写機で撮影を行い、土器片を採集している。 「大島本島
における確実なる石器時代遺跡の最初のものである。」 として紹介し、博士はさら
にこれらの土器が赤褐色素焼きで、面縄貝塚出土のものと紋様が類似していること
などが「南東の先史時代」 「人類学先史学講座16」 1941年(昭和16年)にも報告
されています。曽野寿彦氏が指摘している 「壺を抱いたような格好で人骨が発見さ
れたといわれる、・・・」 はこの文献に記載されています。

その後、昭和29年に河口貞徳氏が調査を行い、そして昭和30年には29年の成果
をもとに九学会による調査が行われました。 調査の結果、大きく上層と下層に分け
られ、上層から無文土器、下層から有文土器が出土。 上層から出土した無文土器
を 「宇宿上層式土器」 下層から出土した有文土器を 「宇宿下層式土器」と名づけ
奄美の土器標識になりました。

その後、ときを置いて昭和53年に国指定に伴う範囲確認調査を笠利町教育委員会
が行い、昭和61年10月7日に奄美で遺跡として初めて国指定文化財になりました。

平成2年から平成14年まで貝塚の公有化、整備に伴う保護覆屋根工事等が行われ、
平成16年2月に 「宇宿貝塚史跡公園」 として整備され保存されました。
                                      (宇宿貝塚広報から)

*面縄貝塚(おもなわかいづか)=鹿児島県大島郡伊仙町面縄貝塚 (徳之島)
 
 面縄貝塚で、1954年(昭和29年)に河口貞徳氏によって 「兼久式土器」 が
 最初 に発見された。

    ky




  

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2012年02月04日

サウチ遺跡

サウチ遺跡は笠利町喜瀬崎原にあり、昭和51年に砂丘の砂採掘中に
土器、石器、貝札などが採集され遺跡であることが分かった。

昭和52年8月に笠利町教育委員会による発掘調査が行なわれ
土器 (弥生式土器、兼久式土器など)
石器 (石斧、石鏃、凹石、石錘など)
貝器 (貝輪、貝斧、貝匙など)
紡錘車(1個)、獣骨(イノシシ)、魚骨などが発掘された。

発掘調査によりサウチ遺跡は弥生時代の遺跡であることが分かる。
笠利町の遺跡は東海岸に多くあり、サウチ遺跡は数少ない西海岸の
遺跡の一つである。

サウチ遺跡から見つかった白色で光沢のある貝札は(1個)、
種子島広田遺跡出土の貝札と同類であると云われている。
もしかしたらこのサウチ遺跡のきれいな貝札も弥生文化の伝播と共に
種子島から持ち込まれたものかも知れない。
(広田遺跡からは大量に出土している)

貝札、紡錘車などはアヤマル岬にある奄美市歴史民俗資料館に
展示されています。

  ky  

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