2012年06月08日
赤木名里のふなだまり
黒潮が通る奄美は古代から海上交通が盛んでした。沢山の文物を積んだマ-ラン船などが北上、南下し
各地の港は賑っていました。船の航海は季節の風待ちを行いながら待機しなければなりません。港に近い
安全な場所は限られていました。このような船が待機するところを 「ふなだまり」 と呼んでいます。
この前田川上流も良港の赤木名湾・津代港を控えており、多くの船が出港の時期を待ち、様々な生活が
営まれた場所だつたようです。前田橋の欄干にその説明文があります。また、マ-ラン船のイラストなどで
当時の歴史を記録しています。ご覧になってください。
ts
各地の港は賑っていました。船の航海は季節の風待ちを行いながら待機しなければなりません。港に近い
安全な場所は限られていました。このような船が待機するところを 「ふなだまり」 と呼んでいます。
この前田川上流も良港の赤木名湾・津代港を控えており、多くの船が出港の時期を待ち、様々な生活が
営まれた場所だつたようです。前田橋の欄干にその説明文があります。また、マ-ラン船のイラストなどで
当時の歴史を記録しています。ご覧になってください。
ts
Posted by DEI
at 15:49
│Comments(4)
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首里城に使われていた木材は、ヒトツバではなくオキナワウラジロガシだそうです
スミマセン(>_<)
『薩摩藩の奄美侵攻四百年 再考』 沖縄大学地域研究所著
に書いてありました(^^)
とても読みやすくわかりやすい内容です おススメ!!
本間由美子
時代が変わっても、大きな船をマーラン船って呼んでたのかもですね(ちがうか?)
沖縄から国内向けの船を「ヤンバル船」 これはkyさんに教えてもらいましたね(^^)
船の事は調べてないけど、最近よんだ本で、 奄美から琉球へは材木も運んでいて、貿易船の材料にしていた らしいですよ~
首里城の柱はイヌマキ(ヒトツバ)が使われていて、沖縄ではイヌマキは生えてないとかって聞きましたが・・・
喜瀬方面は仏壇にイヌマキを供えるのと、何か関係あるんでしょうかね??
知りたいことだらけです。。。
半年ぶりに宇宿貝塚のブログまとめ読み、本間さんのたくさんの記事
面白く読ませていただきましたよ。
上記コメントの問い大変遅くなりましたが、簡単ですが書いてみます。
マーラン船のマーランは馬艦と書きますが、語源は分かりません。
マーラン船は琉球王朝時代の外洋貿易船で、杉板を接着して造った「サバニ」の大型のもの(竜骨あり)。
馬艦船は、今ベトナムの世界遺産になっている交易港の町ホイアンあたり
まで行っていたのでしょう。沖縄には早くから中国やベトナムなどから、いろいろな物が入っていたのでしょうね。
戦前までは(昭和10年代)、しま(奄美大島)にもマーラン船が来ていたらしい。
住用村の市や笠利町宇宿の昭和始め生まれの方から、マーラン船を見た事
があると聞いたことがあります。
各しまじまの港に、そして喜瀬の港にも入っていたのかもしれません。でも
喜瀬の方からマーラン船のこと聞いたことありません、今度訊ねてみよう。
沖縄からは焼物(陶磁器、龜)など、シマからは米や砂糖などが主だったようです。
この話はずっと以前に聞いた話です、本間さんのことだから、もう調べて
あると思うが、私も調べてみよう。
これくらいでよいですか。
ky
どこからどこを通って、奄美へきたんでしょうか?
どこを目指して、何と何を交換していたんでしょうか?
またまた、謎が増えました(T_T)
kyさん、stさん、その他皆さま 教えてください