2012年06月27日
津代港と墓地
笠利町手花部集落平井から海岸線を西に入ると津代があります。藩政時代
黒糖の積み出し港として栄た港です。ここには薩摩に行く船を待つ人や北上
・南下する季節の風を待つ帆船、マ-ラン船の乗組員などが待機していました。
マ-ラン船などは半年ぐらい待機する事もあり、湾の深い赤木名の前田川上流の
船だまりでは、いつもいくつかの大きな船が係留していたそうです(船だまりの項
で紹介)。長期間滞在者の中には病気をしたり、船でけがをしたりした人達ようです
この地で亡くなった人々もおり、大切に葬られた当時の墓地もあります。現在の
平井集落の墓地は県道を挟んだ西の小山にあり、薩摩の山川石を加工した五輪塔
の墓がめだちます。黒糖と薩摩の山川石の墓石が交換されました。シマの人々に
とって、山川石の墓地を持つことは誇りであったと言います。薩摩との交流が深かった
ことがこうした墓地からも察するこができます。この山全体が集落の人々の聖域に
なっていて、歴史を偲ばせる古い墓地団地になっています。最近は麓に御影石の
墓地もできており、新旧の墓地を見ることができます。
ts
黒糖の積み出し港として栄た港です。ここには薩摩に行く船を待つ人や北上
・南下する季節の風を待つ帆船、マ-ラン船の乗組員などが待機していました。
マ-ラン船などは半年ぐらい待機する事もあり、湾の深い赤木名の前田川上流の
船だまりでは、いつもいくつかの大きな船が係留していたそうです(船だまりの項
で紹介)。長期間滞在者の中には病気をしたり、船でけがをしたりした人達ようです
この地で亡くなった人々もおり、大切に葬られた当時の墓地もあります。現在の
平井集落の墓地は県道を挟んだ西の小山にあり、薩摩の山川石を加工した五輪塔
の墓がめだちます。黒糖と薩摩の山川石の墓石が交換されました。シマの人々に
とって、山川石の墓地を持つことは誇りであったと言います。薩摩との交流が深かった
ことがこうした墓地からも察するこができます。この山全体が集落の人々の聖域に
なっていて、歴史を偲ばせる古い墓地団地になっています。最近は麓に御影石の
墓地もできており、新旧の墓地を見ることができます。
ts
Posted by DEI
at 16:09
│Comments(1)
この記事へのコメント
集落の人の墓地と、船旅をしてきて亡くなられた人の墓地とは、場所やつくりが違っていたりするんでしょうか?
Posted by 会員のゆみこ at 2012年06月28日 15:14
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