2011年01月23日
奄美の旧石器時代
人類は約500万年前アフリカ大陸で誕生したと云われています。
旧石器時代は、人類誕生から縄文時代の始まる約13,000年
前まで続いています。
1949年以前は、日本には「縄文時代」から人が住み始めていた、
とされていたが、1946年アマチュア考古者の相沢忠洋さんが、
旧群馬県新田郡笠懸村岩宿で(現岩宿遺跡)旧石器を発見しま
した。1949年、明治大学による岩宿遺跡の本格的」な発掘調査
により日本に於ける旧石器時代の存在が立証された。
沖縄では、発見された人骨、「山下洞人」が約32,000年前、
「港川人」が約18,000年前とされていますが、彼らが使用した
旧石器などは見つかっていません。
奄美では旧石器時代の人骨の発見はありませんが、1986年
(昭和61年)笠利町土浜での発掘調査で、放射性炭素年代測定
で約21,000年前とされる石器が発見されました。(土浜ヤーヤ
遺跡)。
翌年の1987年から1990年まで笠利町土盛での発掘調査で
集石群が出土しました。この集石群が発見された地層の放射性
炭素年代測定で約25,000年前という結果が出ています。(喜
子川遺跡)(キシカワイセキ)
土盛の喜子川遺跡からは完全な石器は見つかっていませんが、
石器の材料や加工した時にできるくずのような「チップ」がたくさん
出土していて、人の生活跡ではないかと云われています。
このことなどから、奄美にも旧石器時代には人が住み始めていた
とも云われています。
もっと研究が進み奄美でも旧石器時代には、人々が生活を始めて
いたという事が、早く立証されたらいいですね。
ky
旧石器時代は、人類誕生から縄文時代の始まる約13,000年
前まで続いています。
1949年以前は、日本には「縄文時代」から人が住み始めていた、
とされていたが、1946年アマチュア考古者の相沢忠洋さんが、
旧群馬県新田郡笠懸村岩宿で(現岩宿遺跡)旧石器を発見しま
した。1949年、明治大学による岩宿遺跡の本格的」な発掘調査
により日本に於ける旧石器時代の存在が立証された。
沖縄では、発見された人骨、「山下洞人」が約32,000年前、
「港川人」が約18,000年前とされていますが、彼らが使用した
旧石器などは見つかっていません。
奄美では旧石器時代の人骨の発見はありませんが、1986年
(昭和61年)笠利町土浜での発掘調査で、放射性炭素年代測定
で約21,000年前とされる石器が発見されました。(土浜ヤーヤ
遺跡)。
翌年の1987年から1990年まで笠利町土盛での発掘調査で
集石群が出土しました。この集石群が発見された地層の放射性
炭素年代測定で約25,000年前という結果が出ています。(喜
子川遺跡)(キシカワイセキ)
土盛の喜子川遺跡からは完全な石器は見つかっていませんが、
石器の材料や加工した時にできるくずのような「チップ」がたくさん
出土していて、人の生活跡ではないかと云われています。
このことなどから、奄美にも旧石器時代には人が住み始めていた
とも云われています。
もっと研究が進み奄美でも旧石器時代には、人々が生活を始めて
いたという事が、早く立証されたらいいですね。
ky
Posted by DEI
at 12:17
│Comments(4)
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上記コメントにダンベ山遺跡から「多数」の人骨が
出土しましたとかきましたが「数体」と訂正します。
ky
丁寧に安置されていた事が伺えますね。
良く分かりました!
ありがとうございます!
「貝塚」=古代の人たちのゴミ捨て場
そのとうりです。
考古学者にとっては、ゴミ捨て場が宝
の山です。
貝塚のゴミ捨て場の貝殻や動物の骨と
いしょに、人骨が出てきたという記述
のある文献は見たことありません。
縄文時代や弥生時代には、生活の場の
すぐ近くに安置・埋葬があったのでは
ないかと思われます。
奄美の「かねく」上にある弥生時代の
遺跡からは、生活跡のすぐ近くから埋
葬されたと思われる人骨が出土してい
ます。
縄文時代や弥生時代の人たちの、敬い
の心が分かるような気がします。
宇宿貝塚のすぐ近くにあるダンベ山
遺跡から多数の人骨が出土しました。
宇宿貝塚人のお墓だったかもしれま
せん。(ダンベ山遺跡の事後日)
短文でうまく説明でき無かったかも
しれません。
「貝塚」=古代のゴミ捨て場という言い方が正しいのか分かりませんが、何となくそんなイメージがありました。
でも日本全国どこかを探せばお墓代わりに人骨を安置していた貝塚もあるんでしょうか??