2012年04月17日
江戸時代の赤木名集落
赤木名集落の中をゆっくりと歩くと集落内の道路が碁盤の目のようになっているのがわかります。
しかも、道路はほぼ直線で、ゲッキツなどのきれいな垣根があり、整った落ち着きのある雰囲気です。
赤木名集落里には江戸時代に設置された薩摩の代官所跡(役人の住む屋敷を仮屋と呼びます)
があります。奄美の薩摩時代における行政中心地になり、新たな階級支配層の新勢力成長が
生れることになりました。代官所が設置され、集落の道路も整備され、碁盤の目のように区画され
たそうです。江戸時代に書かれた赤木名集落地図がそれを物語っています。今では屋敷が広く、
垣根が美しい集落のひとつです。寛政12年(1800年)仮屋を名瀬市の伊津部に移され、その後
行ったり来たりしました。こうした屋敷は鹿児島の知覧町にある武家屋敷跡に似た古い町並みです。
ts
しかも、道路はほぼ直線で、ゲッキツなどのきれいな垣根があり、整った落ち着きのある雰囲気です。
赤木名集落里には江戸時代に設置された薩摩の代官所跡(役人の住む屋敷を仮屋と呼びます)
があります。奄美の薩摩時代における行政中心地になり、新たな階級支配層の新勢力成長が
生れることになりました。代官所が設置され、集落の道路も整備され、碁盤の目のように区画され
たそうです。江戸時代に書かれた赤木名集落地図がそれを物語っています。今では屋敷が広く、
垣根が美しい集落のひとつです。寛政12年(1800年)仮屋を名瀬市の伊津部に移され、その後
行ったり来たりしました。こうした屋敷は鹿児島の知覧町にある武家屋敷跡に似た古い町並みです。
ts
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赤木名楽しいですよね~ 長男が赤ちゃんの頃は、しょっちゅうベビーカーおして散歩してました。タテタテ、ヨコヨコと直線に伸びる道路は、大笠利や佐仁に特徴的な、まるでタコの手が分岐するような迷路道とは違っていて、面白いですよね~!(^^)!
代官所は名瀬、赤木名と移動を繰り返したりしましたが、薩摩藩の影響を色濃くうけた町並みが残っているのは、赤木名だけなんですって(*^_^*)
ノロの拝所や、初期グスクの赤木名城もあって、歴史の層が分厚く、散策しがいがあります。